みむら本院

歴史
浄土真宗の宗祖親鸞聖人が、関東在住の拠点として常陸国稲田(現在の茨城県笠間市稲田)に居られたころ、度々この三村(みむら)の地にも御化導の足を運ばれておりました。
当時の三村の郷士「内手美濃守資康(うちでみののかみすけやす)」も聖人の御教化をうけ、深く感じいるところあって門弟となり法名を『釋了善』と賜ったのでした。
かくて、いよいよ深く聖人を慕い稲田に参じてお仕えすること数年。ある日聖人は、御坊にて日夜礼拝の十字名号「帰命尋十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」を御自ら了善房に賜り、「この名号をご本尊として、三村の地に一寺を建立せよ」との御下命に、了善房は只々かしこまって『浄国寺』を創建し開基となったのは、今より遡ること約800年前の、承久2年(1220年)のことでした。
しかるところ、時移り世は代わって今より400年の昔、現在の京都にある西本願寺が大阪石山(現在の大阪城)の地にあったころ、時の将軍織田信長は中国、西国攻略の要地としてここを明け渡して、寺基を移転するよう申し入れてきました。しかし、当時の本願寺門主顕如上人は信長の邪心を見抜き、これを拒否したためついに戦にまで発展してしまったのです。
これが歴史にも残る石山戦争ですが、頼山陽をして「抜きがたし南無六字の城」と言わしめたごとく、日本全国から駆けつけた住職や門信徒の軍勢によって信長は苦戦を続け、実に11年の永きに及ぶ戦いでした。
この石山戦争に、当時の住職も門徒と共に遠路百余里の道も厭わず上山して本山護持のために善戦し、その殉教的熱誠に対し特に顕如上人より褒賞として『阿弥陀如来の御木像』を賜り、三村の地に持ち帰ったのでした。
以来、宗祖親鸞聖人より賜った十字名号に代わってその御木像の阿弥陀如来様を御安置し御本尊として礼拝申しあげ、門信徒をはじめとする多くの仏縁ある方々と共にその歴史を今もなお刻み続けております。
ギャラリー

本堂内陣のお荘厳

当寺開基の了善上人像

車イス等用のスロープ
所在地・交通アクセス
〒306-0655
茨城県坂東市みむら1224
TX(つくばエクスプレス)でお越しの場合
- 「守谷駅」から、バス「岩井バスターミナル行き」でバス停「岩井郵便局前」下車、近くのタクシー乗り場から車で10分。
(関東鉄道)常総線でお越しの場合
- 「水海道駅」から、バス「岩井バスターミナル行き」でバス停「岩井郵便局前」下車、近くのタクシー乗り場から車で10分。
(東武鉄道)野田線でお越しの場合
- 「愛宕駅」から、バス「岩井車庫行き」でバス停「岩井郵便局前」下車、近くのタクシー乗り場から車で10分。
- 「川間駅」から、タクシーで20分。
境内俯瞰図
本院と墓苑は同一敷地内にございます。

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